黒門町の歴史(江戸時代)
江戸から続く黒門町の歴史
江戸時代、黒門町(上野1丁目)の殆どは、譜代大名、伊勢亀山藩石川家上屋敷で占められておりました。
その屋敷にあった稲荷社が現存する「箭弓稲荷神社」です。
明治時代の文献「新撰東京名所図会」によりますと「銀杏の老樹二株聳立して、其の下に小祠あり」と記載されています。その銀杏は大きく、幹廻り9尺5寸(361㎝)高さ14間(25.5m)と伝えられています。
また、湯島天神誌によりますと「湯島天神 男坂上の石鳥居は、明暦の大火後の寛文九年(1669年)五月に石川家が建立した」とあります。
現在「学問の道」の始点(男坂上)に石鳥居があり、その道の黒門町側に屋敷(稲荷社)があり、上野広小路に通じています。